こちらでは森田正馬の写真や色紙など、ゆかりのある品を紹介します。
(尚、現在病院内に設けられている森田正馬記念館は非公開となっております。一部分を当院1階にあるギャラリーにて陳列しています。)

自画像写真

どちらも昭和6年6月頃に撮影された森田正馬の自画像です。

左側が昭和8年10月頃、右側が昭和10年6月頃に撮影された森田正馬の自画像です。

色紙

森田正馬は、神経症の治療の際に用いる言葉をよく色紙に書きました。著名な禅僧の言葉を自分なりに解釈しなおして神経症者の指導にあたることもしばしばあり、座右の銘にふさわしいものも少なくありません。

懐中時計と日記帳

中央の田原綾氏による説明書の内容を下に記載します。

この時計は森田正馬が本郷にゐてまだ丈夫な時 本郷の時計屋の見本にだしてあったものです。
この時計がほしくて譲ってくれるよう懇願したが これは見本だからどうしても駄目だと言うのを何回も何回も言って求めたものです。外出の時など電車の中でゆうゆうとポケットから出して 人目につく様に見せ車中の人が大笑いするとうれしそうにニコニコしながら ゆうゆうとしまわれた時計です。
これには はずかしくて一緒に行くのをいやがった患者やついて行くのを逃げ出した人など色々エピソードがかくされてゐます。今はいくらうごかそうと思ってもうごいてくれず 床の間で私たちを見守ってゐます。
今日は皆様と何かをかたりたいのではないかと 思います。

田原 綾

◎田原綾氏はその当時、森田正馬の女中として生活をしており、森田療法にも関わっていました。正馬が亡くなった後にはその養子であり、また三島森田病院の初代院長である森田秀俊氏の下、病院に従事し、森田療法を実践されていたそうです。この方は亡くなるその日まで森田療法の指導員として、治療を受けている方と共に生活をしていたとのことです。