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第91回体験発表

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きんかんはちみつドーナツ
シュガードーナツ
醤油風ドーナツ
なっちゃん&みかんゼリー

体験発表者

38歳 男性 無職(元会社員) 
うつ病

体験発表

私の病名は、うつ病です。最初に発症したのは、34歳の時です。
当時、自分は営業を担当しておりました。営業所は自分とまだ入って半年の女性とアルバイトの方と3人でした。所長は他の場所と兼務していたので、事実上自分が一番上の立場でした。
着任した最初は慣れないながらも仕事をこなしていきましたが、毎週の業務で予定が2日前、遅いと前日の夕方まで決まらない業務があり、毎週その仕事だけが神経を使っていました。そして半年以上過ぎたあたりから、最初は会社へ行くのが嫌だなという程度でしたが、だんだんと会社へ行くのが怖くなってきました。
そして事故が発生してしまい、その一件が終わった後に3週間後にまた事故が発生してしまいました。それを境に会社での仕事が手につかなくなってきました。営業に行くと言っては、車の中で寝てしまい夕方まで帰らない事もありました。事務所で仕事をしていても、集中できない状態が続きました。家に帰っても、休んでいる気にならず、睡眠不足になり、最初は缶ビール1本だったのが、だんだんと本数が増えていき、気がついたら一晩で缶ビール5本が当たり前の状態になりました。
自分でもおかしいと思い、上司に言って病院へ行きました。診断はうつ病でした。その時は約2か月半、自宅療養で治り、職場も異動となり3ヵ月後に復帰しました。

2回目の発病は35歳の時です。復帰してから仕事内容は庶務会計でしたが、会計の仕事が自分に合わずパソコンを見るのが、嫌になってきて、家で寝ていても朝が来るのが怖くて眠れなくなりました。
会社でも集中力に欠け、30分に1回たばこを吸ったり、昼食が食べれなくなくなり、会社のトイレで吐いたりしてしまいました。会社を途中で退社する形になったので、病院で診察を受けたらやはりうつ病と診断されました。
この時は約4ヶ月半自宅療養し、復帰しました。同時に担当変更と最初の1ヶ月は、短時間出勤の形を取っていただきました。その後は企画や現場の仕事となり、その仕事が水にあったのか、病気も回復していきました。

しかし、今年移動が決まりましたが、そこは正直自分が一番行きたくなかった所でした。でも拒否すれば、辞めるしかなかったので、頑張って行こうと思いましたが、異動が近づくにつれて段々と不安感が出てきました。
人間関係は良いところなのですが、その仕事に対して先々読みすぎてしまい、こうなったらどうしようとか、後で考えればいい事を考えすぎてしまい、着任してからは、毎日会社行く前が不安で、元気を失い食欲をなくし、トイレで嘔吐し、控室で、寝込んでしまいました。
次の日に病院へ行きうつ病で2週間の診断を受けました。その間に上司の所へ話をしてきました。その中で2週間の間で治らなかった場合、ちょっと会社としては、もう無理かもしれないと言われました。
2週間後再度診察を受け、1ヶ月の加療と診断されました。上司に報告し会社としてもこれ以上はと言われました。会社を辞める決意をし、治療に専念しようと思いました。
このままではと思い病院をかえて診察を受けた時に、三島森田病院を紹介され、入院を勧められました。インターネットで森田療法を知り、2回とも同じ自宅療養で失敗したので、今度は治療法をかえて必ず治そうと思い、入院を決意しました。

入院後、まず最大の難関である臥褥生活に入りました。森田療法の最大の特徴と言っていい臥褥をどう乗り切るか正直不安でした。部屋から出る事はもちろん、テレビ、ラジオ、携帯電話、本を読む事も禁止、果たして大丈夫なのか?
1日目、2日目はまだ入ったばかりという事もあり、昼も夜も比較的早く眠れました。いよいよ3日目から臥褥生活の本当の苦しみが始まりました。
朝は眠くて、食べた後も眠れる状態でしたが、外からの患者さんの声が聞こえてきて、早く外に出たいという気分になってきました。食事や薬を飲む時、トイレ行く時、歯を磨く以外は何もできない生活となり、自分の場合、過去の事を考えるよりも早く出たいという気持ちの方が強かったです。
夕食が終わった時、特に強く感じました。朝から動いていませんから、なかなか眠れず、消灯時間になっても眠れずに過ごした事もありました。
4~5日目が最大のピークでした。そして6日目の夜から、明日頑張れば部屋から出られるんだという気持ちになり、ようやく、過去のことについて考えられる様になりました。何でそうなってしまったのか、そしてこの苦しみをもう二度と体験しないためにここで頑張って治して頑張ろうという気持ちになりました。1週間後ついに臥褥が明けました。

部屋を掃除し、久しぶりの風呂、そして新聞を読む、本が読める、メールができる、携帯電話で話ができる、外を眺める事ができる、今まで当り前のように出来た事がやっとできるようになりました。この1週間は本当に長かったんだなと実感した時でした。そして嬉しさも同時に感じました。

臥褥が明けて最初の3日間は軽作業期でした。まだ個人作業とかは見学だけでOKでしたが、早くこの生活に慣れなければと思い、どんな事をしているのか見学させていただきました。そして必要最小限の物しか持ってこなかったので、だんだんと生活していく中で、必要な物を購入していきました。
そして4日目から重作業期に入り、90分間ですが外出が可能となりました。天気のいい日は畑作業、雨の時は竹細工が主な作業でした。ホームページにも書いてあった通りです。
最初はこんな事で病気が治るのかなと正直に思いました。でも今までの患者さんもこの通りやって治しているのだから、それを信じてやってみようと、黙々と作業に取り組みました。
畑作業は正直初めての体験でした。最初はまったくわからず、例えば、荒起こし、耕運機を使ったのも初めてでした。最初はなかなか前に進まず、方向変換する時もうまく回転が出来ず、他の人がやっているのを見て真似してやってみてもなかなかうまくいきません。でも徐々にですが、やり方を覚えていきました。
鍬を使って水切りという工程があります。鍬を使うのもほとんどなかったので、最初は今でもそうですが真っ直ぐに掘る事ができず、自分でもひどい出来だなと思いました。あと苦労したのが畝作りでした。真っ直ぐに掘って、地面を平らにし腐葉土、堆肥、肥料を蒔き、その後、山を作り平らに削り最後はポンポンと軽くたたいて畝作りが完成し、種を植える、その一つ一つの工程が難しく、でもやる度に楽しくなっていきました。
竹細工ももともと器用ではないし、正直興味もなかったので、雨の日は嫌でした。でもやっていくうちに完成した作品を見るとやっぱり嬉しかったし、やった甲斐があったなと思いました。そういう毎日を続けていくうちに最初は22時の消灯は早いなと思い、なかなか眠れなかったのが動いているせいか、だんだんと早く眠れるようになりました。そしてうつの気持ちもだんだんどこかへ行ってしまいました。
遠くの外出もすぐにできるのではなく、入院してから1ヶ月で可能というのが結果的にはよかったと思います。入院1ヵ月以内に許可されている90分外出を続けているうちに、もっと遠くへ出かけたいという気持ちになってきました。そして入院から1ヶ月、90分以上の外出が可能となり、早速出かけました。少しずつだけど人並みの生活が出来るようになったんだと感じました。

そして、サブリーダー、リーダーを担当する時が来ました。その時のリーダーに色々と教えてもらい、今まで他の患者さんがやってきた事を思い出しながらこなしていきました。サブはリーダーよりもやる事が多く面倒な時もありました。でも週間作業表は指導員さんに教えてもらいながら作成し、個人当番表は過去の表を見ながら、自分の時には9名いたので割り振りが楽だった事もあり、バランスを考えながらなるべく平等になるよう作成しました。
イベントもありました。秋祭りに参加し出店の手伝いをしました。その時に感心したのですが、閉鎖病棟の、患者さんによってはキザミ食じゃないと食べられない人の為に、焼きそばとフランクフルトを細かく刻んで出していたのにはびっくりでした。そして生活していくうちにこの療法は行動本位で毎日の生活を同じリズムで生活していくことの大切さを教えてくれました。やはり行動しなければ何も起こらないし、やる気も出ないと思います。

こうしていくうちに今回、体験発表をさせていただく事になりました。退院後が自分にとっての本当の勝負だと思います。今度こそ気持ちで負けず、通院はする形になりますが、
頑張りたいと思います。

そして、いつも冷静に的確なアドバイスをして下さった先生、生きる知恵を一緒に作業しながら教えて下さった指導員さん、優しく声をかけお世話して下さった病棟師長をはじめとする看護スタッフの皆さん、共に作業をした患者の皆さん、遠くで支え続けてくれた家族、私を支えてくれた全ての人たちに感謝の気持ちで一杯です。

最後に自分が好きなこの言葉を書き残して終わりにしたいと思います。
「この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」

ありがとうございました。

講話

今日の体験発表はうつ病の方ですね。もともと森田療法というのは神経症に対する治療ということになっています。森田正馬先生は、森田療法はうつ病や統合失調症の人には適応せず神経症に限ると言っていました。そして神経症の中でもヒステリーを除いた神経症に限ると言っていました。

その伝統は長く続いていました。三島森田病院に私が来たのは20年くらい前ですが、最初に来た時を思い出しますと、森田療法のうつ病の患者さんは当時ゼロでした。森田療法適応の方は全て神経症ということで、開放病棟にうつ病の患者さんは時々いらっしゃいましたが、その方たちは森田療法とは全然関係ないと教えられてきました。
しかし、時代は流れて最近はうつ病にも積極的に森田療法を行うようになってきました。

それでは、ここでうつ病の症状についてお話します。症状としましては、大きく3つに分類されると思います。第1に気分面では、抑うつ気分・意欲低下・希死念慮が挙げられます。第2に行動面では、思考停止・行動停止・自殺企図が挙げられます。第3に身体面では、食欲不振・体重減少・不眠が挙げられます。この不眠とは神経症の一時的な不眠とは違いまして、夜中に目が覚めてしまうと二度と眠れないといういわゆる中途覚醒です。

森田正馬先生が森田療法を始めた頃、精神科治療には殆ど薬物療法がありませんでした。神経症以外の患者さんは症状が重いため森田療法を適応するのは論外という感じでありました。しかし、時代が進んできますと、統合失調症やうつ病の患者さんにも薬物療法を行うことによって精神症状がだいぶ改善するようになりました。薬物療法で症状を軽減した上で森田療法を行うことが可能となってきました。薬物療法の進歩がめざましいおかげです。

三島森田病院において5年ずつ森田療法の患者さんを区切って統計を取ると、最近の5年ではうつ病の方が全体の3分の1くらいを占めています。最近5年において一番多い疾患が強迫性障害で次に多いのがうつ病となっています。現在のメンバーではうつ病はあなたしかいませんが、最近5年で言えば2番目に多い症状というわけです。

しかし、そうは言ってもうつ病の方は上記のような多彩な症状があるので、すぐに森田療法の適用はできません。統合失調症の患者さんも同様であり、まず薬物療法によって希死念慮などの症状が改善して安定してからの適用となります。
 
ここで、うつ病に対する森田療法の適応について説明しましょう。うつ病に対して森田療法の適応があるのは2つの場合です。
第1は、うつ病の神経症化です。これは身体のあちこちの不調を訴えることなどです。森田療法的アドバイスとしては、「体の不調があってもあるがままに受け入れ、目的本位に行動しなさい」ということです。また、薬物療法が効きにくいうつ病に何らかの治療法はないかという時の選択肢の1つとして森田療法があると言えます。
第2は、うつ病回復期です。急性期には希死念慮等の症状があり適応はありません。急性期を脱した場合にどうするかという事ですが、森田療法を考えずにうつ病を考えても、現在の日本の精神科医療というのは大多数が薬物療法なので、例えばクリニックなどで薬物療法と休養で職場復帰するうつ病のケースもあります。しかし、復帰してもなぜかうまく行かない場合が多いのです。

こういった場合、東京のクリニックなどではリワークと言いますが、部屋の一室にパソコンを置いて簡単な課題を1日中やってもらい夕方に帰ってもらうというデスクワーク、要するにサラリーマンの生活シュミレーションを職場復帰前の訓練として行います。リワークと対比して森田療法でもおそらく同じ効果があるのではないかと思っています。

森田療法は回復期の何を問題にするかということですが、問題点として挙げられるのは、自信の欠如・休み癖・昼夜逆転などです。
職場の復帰訓練と同じようにやるのではなく、1つの定式化した集団生活の中で、おそらく初めて体験する農作業をやってもらう。私はそれがかえっていいのではないかと思います。全然今までと違う事をやっていくということです。森田療法が、前述したパソコンを前にしてやって行く訓練より優れている点は、気分を一新できるという事が大きいと思います。自分の今までの生活をリセットし、新しい作業を行うということで、今までの自分とは違う自分を見出していけるのではないかと思います。

その時に、ひきこもりの人が森田療法をやった場合も同じですけれども、本来その人が持っている能力がどんどん出てくる、これが不思議なのですが、入院時にはいろいろ出来ないように見える患者さんが森田療法をやってみると、どんどん出来るようになる。これは入院前、社会生活の中で自信がなくなって、休み癖がついて昼夜逆転した結果、だめ人間になったように見えていたわけですが、本当は潜在的な能力が高いというのを森田療法が引き出したということですね。

つまり、森田療法の特徴的な利点としては、気分一新が出来る事、ゆるい生活だが確実に行い積み重ねていく事、目新しい事を否応なしにこなしていく事、この3点が挙げられると思います。
 
厳しい社会生活を送られた方は、森田療法はゆるいと感じられるかもしれませんが、ゆるいからリラックスしてやる事ができる。社会生活をあまりした事のない若い人も、ゆるいからいきなり会社に入るよりは適応できる。ただしゆるい生活ではあるが確実に行うということが肝心で、「ゆるく確実に」が森田療法の長所であるといえます。

現在の社会情勢は大変厳しいものになっていて、バブルの頃はちょっとした仕事も多くあったのですが、今では時給700円の仕事でも高度になり、大変厳しくなっています。いきなり、新しい厳しい仕事は困難なので、ゆるい訓練を確実に行なう。これが必要なのではないでしょうか。

それから、森田療法と行動療法の違いを聞かれることがありますが、私が思うに行動療法というのは一品料理なのですね、つまりアラカルトで一つの治療を突き詰めてやるという事ですね。
一方、森田療法は定食です。日記も書かなければいけないし、作業・掃除もやらなければいけない、集団生活の中で人間関係も作らなければいけないという、いろいろな面があり、それをすべてこなしていかなければならない。定食ということは、好きな物もあれば嫌いな物もあるが全部食べなければいけないわけです。要するに、好きな作業も嫌いな作業も万遍なくやるということです。
一つ一つ簡単な色々な作業を、必ずこなさなければいけない、そのことで好き嫌いがなくなり、物事に対する柔軟性・適応性が身についてくると思います。

うつ病の人はある所でぽっきり折れる場合が多いのです。あなたもうまくいく仕事の場合は、どんどん上手くいったと言っています。 例えば、添乗員の仕事は好調だったと。しかし、事務仕事等の嫌いな仕事の場合は、途端に嫌になったという事がありました。しかし、森田療法が始まってからは、目新しいあまりやった事のない作業をどんどんやってもらい、あれもこれも構わずやっていくという、柔軟性・適応性が身についてきたのではないかと思います。

この辺りがうつに対しての森田療法の効果ではないかと思います。ですから、あなたもこの経験を踏まえて、どこにいっても柔軟に対応する、つまり定食を全部食べるというつもりで、新しい環境で頑張ってもらいたいと思います。

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