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第93回体験発表

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サーターアンダギー
フルーチェ

体験発表者

23歳 男性 大学院生
対人恐怖症(社交不安障害)

体験発表

発症時期と症状

発症時期

症状が顕著になり始めたのは高校に進学してからになります。地元から離れた高校での初対面の人との学校生活、通学で利用する慣れない電車の車内、中学からの知り合いとの関係といった環境の変化がそのきっかけになりました。

どの様な症状か(視線恐怖、会話恐怖、対人恐怖)

常に人に見られているように感じ、回りの目を気にしていました。外出時は緊張して動きがぎこちなくなるので、そうならないように努力していました。また、人とどんな会話をしたら良いか分からなくなり、人から話しかけられるのを恐れました。
クラスでも孤立していたので休み時間などは恥ずかしかったのですが、そんな気持ちを殺すようにしていました。どんな行動を起こすにしても、「お前何してんだ?」と人に軽蔑され、責められることを思い、それなりの理由を答えられないといけないと思い込み、なんとなく教室を歩き回ることも廊下をぶらぶらすることも出来ず、かなり行動を制限して生活していました。
そのため、高校では登校して席に着くと、そのまま休み時間もトイレに行く時か、正当と思われる予定が無い限りは席を立つことが出来ずにいました。ただ座っているのも居心地が悪かったので、机にうつ伏せになり寝ている振りをしていました。MDウォークマンを購入すると曲の世界に浸り空想などして過すようになりました。
そのうち、人の目を気にしなくなるには人を疎外して近寄らせないようにすれば良いと考えるようになり、眼つきを悪くしたり人の行動を冷ややかな目で見たりして寄せ付けない雰囲気を作っていました。一方で、集団をつくり楽しそうにふざけたり、笑いあいながら会話している人達を羨ましく思っていました。

大学を卒業する頃には、ある程度人と付き合えるようになりましたが、自分の記憶力や考え(意見)に自信をなくし、自分は社会に出ても迷惑をかけるだけの人間だと悲観する毎日でした。
大学院への進学も就職活動を避けての決断でした。時間稼ぎで入ったのですから、やりたい研究などありません。入学試験や面接でも何故受かってしまったのか不思議なくらいでした。
指導教員の教授から参考となる研究内容を示して頂きましたが、自分なりに考え理解したつもりになっていたその内容が、教授の意図していたものと違うことを指摘されて、益々自分に対する自信を失っていきました。研究について考えようとすると、考えの甘さを指摘されることや、時間がいくらあっても新しい内容を理解できないなどといった困難を思い浮かべては苦しくなり、気力を失い、行動の一つ一つが億劫で、家に引きこもるようになり、結果休学するに至りました。

入院の経緯

森田療法を知るきっかけ

大学院に入学した4月始めの通学中に、ふと「自分と同じようなことで悩んでいる人がいるのでは」と思い、「人が怖い」といったキーワードで調べたところ、対人恐怖という症状を見つけました。その治療法として「森田療法」を見つけ、森田正馬という医学博士を知りました。その療法を知るには、本人の著書を読むのが最も間違えがないと考え、著者の本を読むようになりました。

森田療法の第一印象とその後

最初は、人にどう思われているだろうかを気にしていたので、療法に対する関心よりも、言葉の裏を読んで本人の心の状態を知るという考え方に惹かれて読んでいました。そのうちに、大学院での境遇に苦しくなると、助けを求めるように本に向かいました。また、人生に悲観した時は、自分のひねくれた考えに対する言葉の鞭として働きました。

入院の決断

森田正馬の療法を自分なりに試みようと考えましたが、隔離的な臥褥は家族との生活では無理があり、また日記指導のように客観的に行動・考え方を指摘する有識者の必要があるといった結論に至り、当時に近い入院治療を期待して三島森田病院への入院を希望しました。

入院後の変化

  • 絶対臥褥
    第一日目から五日目までは自分の過去を思い返す日々が続いていましたが、六日目から外に意識が向かうようになりました。
  • 軽作業期
    なるべく自分の行いを慎んで、観察することに専念して過ごしていました。共同作業では見学としての参加だったので、先輩や指導員の方の行動を見るようにしていました。病棟内では生活のリズムを作っていく時期でした。
  • 重作業期
    個人作業・共同作業が加わり、覚えることが増えていき、初めの頃は間違ったやり方をしていないか不安になりながら行動していました。重作業期が最も期間が長く、それだけ経験が多くなり、それによって考え方が変化していく時期だと思います。

私は無口な方なので、周りの人たちを気まずくしていないか気にしていましたが、集団療法の自己紹介で自分の症状を打ち明け、共同作業で協力していくうちに、肩の力が抜けていきました。

共同作業

共同作業は主に竹細工、農作業でどちらも初体験でした。指導員さんは多くの経験を持つ方でしたので、物事の見方・考え方・行動はとても参考になりました。
例えば、農作物に対する姿勢です。農作業では、一つの野菜を育てるのに、「荒起こし」「元肥作り」「畝作り」「水やり」「追肥」などといった多くの作業が必要になります。それも野菜の性質を知った上で、野菜の好む環境を整えるために、「土壌の性質」「種を植える深さ」「畝の高さ」「肥料の割合」「追肥の時期・方法」を調節して、根や葉の成長を観察・推察しながら行っていきます。
普通の人でもこれだけ考慮することがあると知ったら、あまり気乗りしないでしょう。“石橋を叩いて渡らない”神経質者はなおのことかと思います。しかし、指導員さんからそのような印象を受けたことはありません。

森田正馬の赤面恐怖者に対する日記指導の中で「疲労と苦痛とを苦労としないものが、幸福である。」という言葉があります。私は指導員さんを見ていてこの言葉を思い出します。苦痛を感じるのは注意が自己に向かっているときですが、指導員さんは心の置き所が違うのだと思います。
分かりにくい表現かもしれませんが、野菜の「静かな成長努力」を見ているように感じます。野菜は水が渇いても、栄養が不足しても、その環境にじっと耐えながら機会を待ち、なんとか成長しようと努力しています。その「静かな成長努力」に対して同情する心から作業に取り組んでいる。そんな気がします。そして、今では野菜の立場になって考えようと心掛けるようになりました。

日常生活

また日常生活の中から、気分に対する対処ができるようになってきたと思います。ここでは規則で時間割があります。時間による作業の変わり目は、気持ちの切り替えが上手くできず、取り掛かるのが遅れ気味になることがあります。あと少しやったら切りがよいから、中途半端にしたくない、という気分に支配されてしまうからです。
しかし、気持ちが悪くても、次の作業に向かってしまえば、いつとはなしにそんな気持ちは忘れ、気にならなくなります。常にそう出来ている訳ではありませんが、そのような事実があることを、体験をもって知ることが出来たと思います。

他にも、他の病棟でのイベントの手伝いをしたり、リーダー・サブリーダーを経験したりする中で、境遇を正しく理解して行動を判断し、それに基づいて力を発揮することを経験する良い機会になりました。

ここまでを聞くと前向きな考えで希望をもって生活しているように思われそうですが、それは一面であって、もちろん不安もあります。将来について考える時や、責任を意識する時、一番わからない自分自身について説明しなければならない時などに戸惑い、迷いながら、どうにか噛り付いて取り組んでいく日々を送っています。
退院して社会にでることを思うと予期恐怖を覚えますが、その中でも地に足着けた考えを持って進んでいけるようになりたいと思っています。

以上で発表終わります。ありがとうございました。

講話

茶話会で久しぶりに対人恐怖症についての体験発表がありました。今日の発表は緊張しましたか? 神経質者はいろいろな症状がありますが、対人恐怖症は最も森田療法らしい症状と言えます。

パニック障害や強迫性障害は薬物療法が有効であり、薬物療法のみで行われることも多いです。対人恐怖症でもSSRIを使うこともありますが、投薬なしに森田療法のみで治療していくことも可能です。

神経質の方には

  1. 高い能力
  2. 自信欠如、

という特徴があり、これは対人恐怖症の特徴でもあります。
高校時代に「ぎこちない」感じがしたとありましたが、それは裏を返せば自意識が過剰ということです。自分が「ぎこちない」と確信すると「ぎこちないようにしてはいけない」と思うようになる。森田療法では「思想の矛盾」と言いますが、一種の理想主義です。あなたの場合それが強く出ています。
そこで、その「ぎこちないようにしてはいけない」対策として「寝ているふり」とか「ウォークマンに浸る」といった引きこもりになっていったのですね。

こういったことは対人恐怖症の方の一部にままあります。専門的に言うならば、「回避性人格障害」ということになります。症状と戦わず早々と引きこもってしまうのです。このように、症状に対する誤った反応の行動を森田療法では「はからい」と言います。はからいによりますます孤立してしまい、対人恐怖症は重症となっていくわけです。

統合失調症と対人恐怖症の違いを述べてみます。統合失調症には人嫌いがありますが、その本質は人間に興味がないということです。対人恐怖症では人と仲良くしたいができないのでそこで引きこもる。対人関係が怖いから嫌いとなるというわけです。
ですから統合失調症では友達がいないということもありますが、対人恐怖症では少数ながら友達は居るものなのです。

「はからい」から孤立が進みます。あなたは大学へ進みました。専門性が深まる分、高校の時より対人関係は容易になったと思われます。
しかし卒業後、対人関係の厳しさを避けるために大学院進学に逃避してしまいます。大学院に進んでも、能力が高いものの自信がないためストレスが高まってしまいました。結局行動が出来ず休学となり、今回の入院となりました。

森田療法がなぜあなたに向いているのかですが、あなたがいわゆる森田神経質だということが大きいと思います。森田神経質では

  1. 内向的(自分への関心が強い)、
  2. 繊細、過敏、完全主義、心配性、
  3. 「生の欲望」が大きい(意欲が十分)、という特徴があります。
    「生の欲望」とは、治療意欲があり欲が深いということでエネルギッシュなことです。だから森田療法が成功すると、症状がよくなるだけでなく社会的にも大成するわけです。

あなたもどうでしょう?本当は、自分はダメだと思い引きこもるよりも何とかしたいという気持ちの方が強いのではないでしょうか?
入院し共同作業が始まりました。そこでは緊張感もあり自分はダメな人間と思いました。しかし、同じ仲間がいて作業を協力し合うことによりしだいに肩の力がぬけてきました。「同病相憐れむ」というなかで馴染んでいく。協力し合うことができるのは能力が高いからできるのです。

畑の作業で「野菜の静かな成長努力」に感心しましたね。「野菜の立場に立って考える」を学んだと体験発表にありました。これが目的本位ということです。
「内向的」に自分のことばかりを考えていてはいけないのです。神経質者が改善していくには、自分を没却して目的本位に行動しながらそのものになりきってみるということが重要です。

日常生活では、今まで「一つやりつけると中途半端はイヤだ」と思っていたわけです。森田療法後は「気持ちが悪くても次の作業に向かえばそんな気持ちは忘れる」を学びましたね。その場その場でやっていくクセをつけるということ、目の前のことをこなすこと、今を生きるということが大事なのですね。
あなたはその点をもう少ししっかりやっていけば成長していけるのではないかと思います。
「自分は前向きな気持ちをもって生活しているように見えるが、実は不安である」と言っていますね。これこそ「思想の矛盾」でしょう。
前向きに生きるというより目の前のあることを一つずつこなすのが重要です。森田正馬がいう「境遇に従順なれ」ということです。
与えられた立場で目の前のことをやっていくことが大切ですね。大学院でも「野菜の気持ち」と同じようにやっていけば、あなたの本来めざしていく方向に進むのではないかと思います。

退院後のご健闘をお祈りします。

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