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第99回体験発表

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ホットケーキ、チョコレートパフェ
枝豆、紅茶

体験発表者

39歳 男性 適応障害 公務員

体験発表

私は特に神経質な性格をしているとは思いませんが、過去を顧みますと色々な出来事がありました。

今から25年前の中学校入学時でした。生徒会入会に学校内で応援団が発足されており、「明日までに校歌と応援歌を覚えてくるように」と応援団長からの指摘事項がありました。家に帰ってからも必死に歌詞とにらめっこして一生懸命覚えたつもりが、翌日の全校集会の校歌指導で周りの指導員の強い怒鳴り声が響き、不安に陥ってしまいました。結局大きな声も出ず、歌も忘れてしまい、最終的に全校生徒の前で私一人が立たされ、その後に先輩の指導員から足で蹴られました。また目の前で平然としていた先生までもが「何故覚えてこないんだ」と私の首根っこを掴んできたことも私を恐怖にさせられたのも事実です。
その出来事が尾を引き、家に帰ると親に何でも嫌なことがあるたびに不満をもらすようになっていました。対人関係でもトラウマになってしまうこともありました。幾度か同じ先生から訳もなく自分の感情から強い口調で注意されたこともありました。一度は生きることに不安を感じました。勉強も集中出来ずに、学校での成績もあまり良くありませんでした。
部活動は入るつもりもなかった野球部に入部しました。三年間弱いチームでしたが、それなりに体を鍛え抜き、一生懸命頑張りました。しかし中学2年生になった頃、先輩から注意されてノックバットで尻を思い切り叩かれ、それに耐え切れなくなり数日登校拒否を起こしたことがありました。
高校に入ってからも野球を続けましたが数えきれない程、色々な出来事がありました。自分の精神的な弱さがなかなか抜け出せないことで情けないように感じました。高校三年時に両親やクラス担任と相談して、将来は競輪選手を夢見て、体力に自信を付け、先生から反対されながら受験をしました。しかし、結果は不合格に終わりました。自分は本当に甘い人間だとかなり落ち込み、今後の人生に不安を感じました。
結局19歳で公務員となりました。

毎日が充実とした日々が続き、仕事もやり甲斐を感じました。それなりに必死で仕事を覚え、業務、営業と班のエースとして仕事に夢中な日々を送りました。ボランティアでも少年野球の指導者を頼まれ、毎週仕事休みの土曜日、日曜日に野球の指導にあてました。最初の8年間は地元、その後は隣の県に4年間、さらに別の県に3年間を毎週車で通いました。
しかし仕事と野球活動を合わせ、家で休養するのも20日に1回で、断れない性格上、無理が祟ってしまいました。公務員も規律が段々と厳しくなり、4ヵ所目人事異動となった昨年の4月、そこで落とし穴が待っていたかのように私にとって非常に苦痛な毎日になっていました。
部署も今までと違う畑違いの総務で営業本部に配属されました。一生懸命頑張ったつもりが、結局大した成績が挙げられず、すぐに結果を求めてくる上司からは何度か問い詰められ、嫌な思いをしました。通勤途中を含め、職場内でも吐き気を感じ、毎日がとても憂鬱な気持ちになりました。朝礼では毎日のように怒鳴り声が響き、今まで自分からしていた業務も手が付かなくなっていました。
何もすることが出来ず、上司に相談しました。「お前は逃げている。お前の考えは甘い。部下を怒鳴りつけるのにストレスを発散して大きな声を出さないとうつ病は治らない」など私には信じられない言葉が返ってきました。異動願いも実らず、少し我慢をしましたが、職場の環境が水に合いませんでした。

少しの間休みをいただき、11年前にも一度、2回ほど外来で薬をもらった経緯があったことから、今回も三島森田病院を受診しました。先生と相談した結果、意欲低下による軽いうつ病と診断されました。その後もしばらくはあまりすぐれない体調と闘いながら仕事をしました。職場では自分に余裕がなかったためか、周りから挨拶があまりありませんでした。
外来で数ヶ月が経過した頃、職場の環境の悪さと多忙な業務に耐え切れなくなったせいか、朝起きれずに吐き気を感じました。症状が激変していました。上司に携帯電話で連絡し「病院に行ってこい」との指示から、直ぐに受診しました。先生からは「少し休みましょう」との言葉を頂き、任意入院することになりました。一度家に帰って慌てて入院の支度をして、タクシーで再び病院に向かいました。

入院中は精神科開放病棟の患者として、順調に回復しながら僅か1ヶ月で退院しました。しばらくの間、自宅で療養することに決めました。職場に戻るのに多少怖かったものの、毎日図書館やプール、体育館のジムで汗を流し、体力をつけて職場復帰を目指しました。就業支援委員会という職場復帰が出来るかの判定のため面接をしました。一度不合格になったものの、その2ヶ月後に再トライして、2ヶ月間を日勤勤務の条件で約8ヶ月ぶりに職場復帰することになりました。
しかし、私に対する周りからの目が変わっていました。いきなり上司から怒鳴られ、あり得ない暴言が飛んできました。周りも「あなたはこの職場には必要ない」というような雰囲気でした。今まで長年頑張ってきた自分が消しゴムで消されたかのように、評価も完全に無くなっていました。自分は何をやってきたのかと人間不信に陥りました。たった一週間の勤務で5、6回取り返しのつかないミスをしてしまいました。処分をくらい、始末書も提出しました。再び先生と相談した結果、再入院となりました。以前にうつ病は治せるとの本を読んでいた時に治療方法に森田療法があることを知っていましたが、ちょうど先生からも勧められ、「数ヶ月はかかるけれども根気強く治せる」、「中学時代から始まったあの嫌な経緯が忘れる」と思い、森田療法に入りました。

最初は正直言って戸惑いました。先輩患者さん達と上手くやっていけるのかと心配でした。団体生活なので厳しい所かと思いました。
先ずは1週間臥褥期に入りました。個室に閉じ籠り、外の景色もながめず、この一週間は長くなると予想しました。たまに先生が入ってくると「後で必ずプラスになりますから」とおっしゃいました。夏の暑い時期だったので途中から体や髪の毛がかゆくなってしまいました。最後まで我慢して頑張りました。ベッドの横になっていたので腰が重くなっていきました。嫌だった仕事のことも少しずつ忘れ、前向きな気持ちに向かっていたのは確かでした。
最終的には長くも短くも感じず、無事臥褥も終え、軽作業期、重作業期と入っていきました。この森田療法は私にとって自分を見つめ直す良いチャンスでもありました。病院に入院しているというイメージではなく、規則正しい生活の場の職場の研修センターを思い出す寮生活のようでした。

畑作業も子供の頃に一緒になってお手伝いをしたこともあり、馴染みがありました。家でも畑を借りて農作物を作っており、今後手伝うことが出来るので大変プラスになります。
指導員の丁寧な教えから、畝作り、荒起し、追肥、間引き、水やりなど様々な分野で学ばせて頂き、感謝しています。家に閉じ籠っていた時期があり、外で太陽の光に浴びながら作業する大切さを教わりました。
又病院職員の方で、定年を過ぎた年齢でも元気良く働かれている姿を見て、今後の良い刺激になり大変勉強になりました。私は今日で退院をします。しばらくの間も療養を続けながら外来で通院することになります。
最後にある時はやさしく、ある時には厳しく接して下さった先生、看護師、ヘルパーの皆さん、指導員、私たちをバランス良く考えて食事を作って下さった栄養科の皆さん、そして先輩患者の皆さん、しばらくはお世話になりますが、この場を借りてお礼の挨拶を述べさせて頂きます。
ありがとうございました。

講話

なかなか凛とした発表でした。最後、給食の職員さんに対してまで謝意を表するという発表は少ないですね。今日あなたの発表を聞いて皆さんどう思ったでしょうか。病気と思えない人が多いのではないでしょうか。しかし、病気というほどではないけれども実際困っているという状態、これを最近われわれは適応障害と言っています。 

適応障害というのはどこかで聞いたことのある方もあると思いますが、皇太子妃の雅子様がこの病名だということで有名です。どういったものかと言いますと字の如くですが、ストレスに適応できずに病的な障害が生じるというものですね。環境に基づく一時的な障害と言えます。
そう聞くと、誰であれ適応障害という部分を持っているように思えます。環境的要素が大きい疾患ですので、問題となっている環境要素が解決すれば基本的には治るということになります。たとえば失恋してガックリきたら適応障害かもしれませんが、次の恋人ができてケロッとしてしまえば、それはもう病気ではありません。けれども、失恋したままずっと鬱々とした状態が続いたらこれはうつ病という病気となります。一時的で環境的要素が強いという場合に適応障害と言うわけです。

適応障害の具体的な症状はいろいろあるのですが、代表的には①うつ、②不安、③問題行動、などが挙げられます。適応障害という病名は1980年のDSM-Ⅲという国際的診断基準から始まった病名ですね。欧米では、問題行動の症状を主に想定しているようです。問題行動というのは例えば破壊行為とか無謀な運転など無茶苦茶な行動、そして無断欠勤、ギャンブル依存といった逃避行動などです。自暴自棄のようなものを念頭に置いているというわけです。
しかし、日本では当初あまり使われない病名でした。ちょっとあいまいな病名ですのでなかなか私も使わないですね。というのは病気と健康の間というそんな感じなのです。そこで日本の精神科医の間で、この適応障害という診断はどのように使われるかと言うと、環境的要因に基づく軽症うつ病、つまりストレスによる何らかの症状はあるが本格的なうつ病(専門的には「大うつ病」と言いますが)まで達していない状態という意味で使われることが多いと思います。

あなたの場合も悪い時は悪いけど良い時は良い。そういうところが感じられますね。あなたに接した人は、どこが悪いのだろうと思った人が多いと思います。本人は健康と思っていないわけですけど、だけど周りから見るとほとんどのことができているので健康に見えるわけです。
病気の原因を見ていく場合に「ストレス脆弱性モデル」というものが最近良く使われます。別に難しい話ではなくて、ストレスというのが環境要因であり、脆弱性というのが素質ですね。環境と素質、この両方で症状が成り立つということですね。以前はストレス、言い換えれば環境要因だけで起こった病気を心因性と言ったわけです。それに対して素質の方だけの場合は内因性というように呼んでいました。かつてはそう分けていた時代もあったわけですけれども、しかし今では、環境なら環境、素質なら素質のみが原因というわけではなくて環境と素質が絡み合って複合的に病気が生じている、そう最近は思われていて、それがストレス脆弱性モデルというものなのです。

ストレスと脆弱性の割合は疾患によって種々の場合があります。よく引用される図で下記に示したようなものがあります。縦軸に脆弱性。横軸にストレスをとっています。ちなみに斜め右上の方向に行きますと重症という意味になります。

まず、脆弱性が大きくてストレスがほとんどない疾患の代表的なものが、①認知症です。つまり素質が大きくてストレスはあまり関係ないという代表疾患が認知症なのです。それに引き続いて、素質は大きいけれども少しは環境要因もあるというのが、②統合失調症です。もうちょっと環境要因が大きくなると、③うつ病。そしてさらにもう少し環境要因が大きくなると、④不安障害、要するに神経症ですね。森田療法では一番多い神経症がこの辺に入ります。で、適応障害は次の⑤に入ります。環境が非常に大きくて、素質の要素はそれ程でもないというものです。最後にストレスばかりで素質はほとんど関係ないというのが、⑥PTSD(外傷後ストレス障害)です。阪神大震災とか地下鉄サリン事件の後に、些細な物音で目が覚めるとか地下鉄に乗れないとかいうもので、それはたまたまそういう事件に遭遇しただけで自分は何も悪くないですから環境要素きわめて大ということとなります。そういうわけで適応障害というのは環境要素が非常に大きいという疾患であるということがわかると思います。
どういう環境で症状が悪化するのかというのはいろいろありますが、あなたの場合は職場におけるストレスというのが原因になっていると思われますね。職場のストレスには教科書的に言うと4つの要因があると言われています。
①仕事の質:営業から総務に回ったら慣れないパソコンで苦労したとか、又逆もありますね。慣れない営業になって、人を相手にしなければならなくなり苦労したとか、そのように仕事の内容ががらっと変わって次の仕事をやる場合にストレスが上がるというものです。
②仕事の量:やはり残業時間が多いとそれだけでストレスは上がりますね。厚生労働省ではその基準を残業80時間/月以上は要注意であるとしています。残業が100時間/月以上になるとかなり要注意であるということで、必ず産業医の診察を要するとされています。それからもう一つ、80時間/月を超える残業が連続6ヶ月あった場合も、産業医の診察が必要となります。長時間労働というだけでストレスということですね。
③職場の人間関係:これは常識的ですが非常に大きい要因です。特に女性では圧倒的に多い要因です。このあたりは誰が考えてもまあそうだろうなというそういう種類のものです。
4番目、これを折角なので覚えていってもらいたいのですが非常に重要なのですけれど、
④上司、同僚のバックアップ:これが非常に大きいのですね。私はこの病院で本当に伸び伸び仕事させてもらっていますけど、本当に院長に感謝しています。それはなぜかというと院長はふだん特にこちらに任せてくださって、こちらの仕事に細かい注文をつけません。しかしたまに、年に数回程度ですが、対策に窮することがあって院長に相談に行くと必ず解決していただいています。そのおかげで私も安心して仕事ができるわけです。他の職場だったらどうだっていたかわかりませんよね。このように上司、同僚のバックアップというのは非常に価値のあることなのですね。職場の要因ではそれが一番大きいような気もします。
あなたの場合は、違う業務になったということがストレスの要因だったのですね。そしてバックアップがなかったわけです。残業はあまりなかったということは仕事の量はそれほどではなかったようですが、あとの3つの要因、つまり仕事の質、職場の人間関係、上司のバックアップはすべて悪かったのですね。たまたまそういう職場に当たってしまったということです。
適応障害というのは本来の病気というものがなくても、環境次第で誰でもなりうるというものなのですね。それから、適応障害という疾患は他の疾患と合併することはありません。要するに適応障害というのは他の疾患があてはまらない場合に診断されるという除外診断としてあるわけです。つまり最初から軽度とされている疾患なのです。が、あくまで疾患の診断というのは現在値ですので、放っておかれたり、劣悪な環境にいるとさらに悪化するということになりかねません。ですので、あなたもこの段階で入院してきて良かったと思います。そのまま放っておくとおそらくうつ病になっていたかもしれません。
次に、治療と言うか解決法ですが、それはもう何と言ってもストレスを避ける、これに尽きるんですね。ですから職場の場合は、例えば新しく職場が変わって具合が悪くなったのなら前の職場に戻る、または別の本人の希望する職種に就くというのが理想です。
しかし残念ながら人事異動は自分の思うとおりにはいかないものです。あなたの場合は移動願を出しても受理されないし、異動がうまくいかなくて困りました。場を与えられればおそらくまた生き生きと仕事できるだろうということですね。
あなたには栄光の時代もあったわけですよね。中学・高校の部活動で一生懸命やって良かったとか。それから班長、仕事に努めて班のエースで少年野球のコーチもやってという栄光の時期もあったわけです。このことが一つの鍵です。適応障害の方の中には、自分が病気になっちゃってもう駄目だと立ち直れない人が結構いると思うんです。けれども、そうではなくて適応障害なので、場を変えれば良くなる、「自分には良い時代もあったからこれからの環境次第だ」と思えばよいのです。
森田療法は何をもたらすことができるかと言うと、第一にストレスフルな職場から場を変えて気分転換をする、という意味ですね。昔で言うところの転地療養です。そして第二に、小集団の中で自分が役に立つというような自信をつけていくということです。はっきり言いまして、今の職場だけでなく以前の職場と比べても森田療法はまだ楽だと思いますが、これが良いのです。あなたも「入院する時によほど厳しいところかと思ったらそうでもなかった」と感想を述べています。このゆるい体験というのが良いのですね。あまり厳しく訓練して新しくそれがストレスになってしまっても困りますから、ゆるい体験をしながら、昔の良い時を徐々に思い出して行くという方が良いのです。もちろん入院者の中には森田療法はものすごくきついと思う人もいると思いますけれども。
少しゆるく行動することで自分を取り戻すというのも一つの道と思います。私は昔からそれを「裏森田」と呼んでいます。森田療法というのは、何もやらない人には強く促して行動してもらうという療法なのですが、やり過ぎる人にはほどほどにやってもらうという側面もあります。だから、あなたにとっては少しゆるいくらいの環境の中で行動してもらって、自分を取り戻し自信を回復していくというのがよいと思います。
だから今後も必ずや活躍できる場所があるというのが現実だと思いますから、全部捨てる気になるのではなくて、粘り強くやってもらいたいと思います。七転び八起きの精神で粘り強くやってもらいたい。今後、現在の職場で働くかどうかわかりませんけれども、直ぐ辞めちゃうことはないと思います。粘り強く、自分には必ずや活躍できる場所はあると、こういう信念で対処していただけたらと思います。
本日は退院おめでとうございました。

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