第66回体験発表
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体験発表者
31歳 女性 主婦
抑うつ神経症
体験発表
入院前の私は生きている事に疲れていました。それなりにストレスがあった訳ですが、何の為に生まれたのか、どうすれば死んでも許されるかを考えて、日常が苦しかったです。
抑うつ感と不眠と過呼吸があり、息苦しくて、消えていなくなりたかったのを覚えています。完璧で美しいものが好きで、理想主義でした。そして、自分の価値基準を人に委ねていたので、自分に自信が持てず、人の顔色を窺う癖が身体に染み付いていました。
入院生活の中で、私は臥褥期間が本当に苦しかったです。臥褥開始と同時に薬を止めたので恐怖や不安を、よりダイレクトに感じていたと思います。
4日目、あまりに苦しくて眠れなくて先生に泣きごとを言いましたが、逃げずに自分と向き合って良かったです。後で思ったのですが、恐怖は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」でした。そして、臥褥明けの日に先生が「よく頑張りましたね」と言って下さったのがとても嬉しかったです。
方向は間違っていましたが、今までも頑張って頑張って、これ以上どうやって頑張ればいいのか分からなくなるまで一生懸命、生きてきたと思っていたので、臥褥が終わった達成感と相まって忘れられません。
重作業期に入ってからは作業を頑張りました。やれば治るなら、治るまでやればいいんだと思って、先輩の方々から教わりながら作業を覚えていきました。不眠は臥褥が終わって1週間くらいで気にならなくなりました。
「眠りは与えられただけとる」を学んで、睡眠時間が少なくても、実際に作業にができたので、それでいいのだと思っている内にぐっすり眠れるようになりました。その実感が嬉しくて次への意欲が湧きました。
「不即不離」を学んだ時、また目から鱗が落ちるような感じがしました。今までの自分は見事に理想重視、気分本位で、その上All or Nothingの傾向が強かったので、つかず離れずの中間が良いことが分かっていませんでした。観葉植物に水をやり過ぎれば枯れるし、全くやらなくても枯れる事を知っているのに、自分に関しては全く逆でした。
また、こうあるべきだ、こうでなければならない義務を自分にたくさん課していたので、「思想の矛盾」が多く存在していました。いい子で、良き妻、良い部下でなければならない、という過度の課題に対して、自分の感情の事実を曲げても果たそうとしていた事にも気付きました。
例えば、悲しい時に泣いたり、悲しい顔をすれば親に心配をかけるから、悲しくない振りをする、そこから更に自分は悲しくない、と考え始める矛盾のように。これは「感情の法則」にも逆らっていて、苦しかったのも納得できました。
より良く生きたい、幸せになりたい、などの「生の欲望」も行き過ぎれば、「はからい」が出てきて素直で純粋な気持ちを忘れます。一番はじめに、なぜそう思ったのかを思い出せばシンプルだった事も分かりました。それを、あれこれ考え過ぎて、最初のシンプルな気持ちを忘れ「はからい」続けてきたのだと思います。
今までの自分が、ブロッコリーの苗からキャベツを育てようとするような考え方をしていたのだと思いましたが、言葉から学んで気付いたのではないと思います。言葉で理解できたなら、この入院は必要なかったはずです。先に行動をして作業して、後から理論がついて来ました。そうやって日々、行動本位で過ごす内に自然に良くなった、という感じがします。
良くなった過程をあくまで感覚的に表現すれば、以下のようになります。
ブロッコリーの虫を毎日とる。最初は苦手意識もあり、ただ取るだけで終わる。
次に虫の大きさや種類が分かるようになり、効果的な退治の仕方が分かるようになる。虫を探すのが早くなり、たくさん退治できる。
良いブロッコリーができるように考えるようになって、土の状態、水、肥料の様子、生育状態が目に入る。他の野菜がどうなっているか見るようになる。
天気や空の色、風のにおいを感じて、木々の紅葉が目に入り、鳥の声が聞えるようになった時、オーケストラの音楽が一つになって鳴り出すような、心の調和を感じました。
それは、本当に清清しい気持ちで、こんな感覚があったのか記憶にないくらい新鮮でした。
そして、今までの苦しかった時期の自分を、仕方なかったけど仕方なくないな、と笑えるようになりました。困った自分だったなぁと、諦めと言うか、それでも自分だから見捨てるような感覚でもなく、別人になった感じでもなく、受け入れた上で反省したような感覚でしょうか。
今、ここで地に足をつけて生きている感じがします。自分の居場所を探して、迷子だった頃からは想像できない心境です。
入院して得た経験を言葉で敢えて言うなら「目的本位」「行動本位」を実践した事だと思います。そこから、今までの欲張りで自己中心的な考え方を反省しました。
自分の体面が重要なのではなく、物がきちんとなるように取り計らう。まだまだ難しく感じる事が多いので、まさしく、まだまだだと思いますが、反省しすぎて止まってしまわないように、ここで出来た自信を忘れずに、また策を弄している内に目的を忘れないように『目的本位』で生きていきます。
家に帰っても、ほうれん草を育てて、窓掃除しながら、仕事をして頑張ります。事実は変りませんが、きっと今までと違う景色が見えると思います。
最後になりましたが、要所、要所で的確なアドバイスとサポートをして下さった、先生と指導員に心から感謝しております。ありがとうございます。この病院で森田療法をやって本当に良かったです。また、看護師、スタッフの皆様、いろいろ教えて下さいました患者の皆様、ありがとうございました。
講話
非常に素晴らしい体験発表で感動的な内容だったと思います。発表の内容も感動的でしたが、実は入院生活そのものが感動的でした。
休日も黙々と草取りしていたようすが目に浮かびます。森田療法を十二分に尽くしたと思います。本当にここで森田療法をやって良かったと心から思います。無事終えておめでとうございます。
さて今回は、最近多くなってきているうつ病圏ではありますが、従来「抑うつ神経症」と呼んでいた病態です。
「抑うつ神経症」と「うつ病」とあるわけですが、この二者がどう違うのかと言うと、抑うつ神経症は「抑うつ気分」と「意欲低下」などの気分の変化を主体とするものなんですね。
うつ病は「食欲不振」「体重減少」「思考制止」、特に最後の「思考制止」が大事なんですが、考えが止まってしまう症状、これがうつ病ということです。
この二者はまったく別個のものではなく、中間的なものもあるし、抑うつ神経症からうつ病へ、あるいは逆へ移行するものもあります。
あなたの場合、おそらく症状の流れから言うと抑うつ神経症の方が強かったが、一時的にはうつ病のような症状もあったということだと思います。考えがまとまらなくなって呆としてしまう思考制止になることが一時的にあったわけです。
抑うつ神経症と言うのはICD-10という国際診断基準では2つの診断に該当します。
1つは「気分変調症」。2年以上憂鬱な気分がダラダラと続いている症状です。うつ病は波がある病気ですが、「気分変調症」は波がなく、同じ気分がずっと続く病態です。
もう1つは「適応障害」と呼ばれていて、これもうつの軽いものと言ってもいいもので、環境的要因により抑うつ神経症のような症状が出ます。ある特別な環境、ストレスでなるわけです。
今回の本題は「抑うつ神経症」で、気分の波がなく、環境因が影響していることが多く、あとは性格の問題になります。
性格では「執着性格」の場合に多く起こります。
執着性格は几帳面、完全主義、責任感が強いといった性格で、あなたには大いに当てはまっていますね。この性格はうつ病にも抑うつ神経症にもよく起こる性格です。
完璧を求めるため、完璧を損ねた時に憂うつ気分が襲ってくる。普通なら「これくらいでいいや」というものが、例えば100点満点のテストで普通なら90点取ったら満足するが、完璧主義の人は「10点間違えた」と思う。
完璧主義が故に、まだまだ足りないとわざわざ自分にストレスをかける性格なのです。環境との絡みで言うと、過剰適応という問題を起こす場合が多い。
あなたは小さい頃からそういう性格だということで、おそらく親子関係の中では親に対していい子ぶり、結婚してからは夫に対して良き妻であり、会社では上司にいい部下であると言っていました。
どこに行っても頑張ってしまうということで、なかなか逃げ道がない。いつも足りない、まだやらなければという思いが強くなる。能力がずばぬけて高い場合はそれでやっていける人もいますが、多くの場合は過剰適応となります。
高良武久先生が「適応不安」という用語で呼んでいた中にこのことが含まれると思います。
抑うつ神経症に対する森田療法をどうすればいいかということでしたが、体験発表で出てきた不眠症の克服を例に挙げると、理想は「ぐっすり眠りたい」ということなんですが、現実は「不眠」ということですね。
こういう場合、森田療法では「睡眠は与えられただけ取る」と教えます。あなたの表現を借りると、『睡眠時間が少なくても、実際に作業ができたので、それでいいのだ』というわけです。これが森田的考え方です。
むりやり睡眠を取ろうとするのではなく、作業を一生懸命やっていく、その中で自然に睡眠が取れていくということですね。なぜ睡眠が取れていくのかと言うと、昼間の作業が充実していくから、肉体的に疲労して自然に不眠が解消されていくからです。睡眠は取りたいと思ってもなかなか取れないし、薬に頼っても薬の量が増えてしまいます。昼間の労働を大切にして、『睡眠時間が少なくても、実際に作業ができたので、それでいいのだ』とこう思えばうまくいくということです。
過去のあなたの問題は要するに、他人から評価されたいと思い過ぎていた所にあります。
他人からの評価を気にするという症状は実は不眠症に対する考えと全く同じでいいのです。「人からよく思われたい」と神経質の人は思う。しかし現実には人に評価されないからうつに落ちて行く。そういった症状に対して森田療法はどうすればいいのか。
「評価されてもされなくても目的や行動が果たされれば良い」こう考えていけば良いのです。つまり「目的本位」ですね。最初から他人に高く評価されようとするから失敗するわけなので、まず実際の目的や行動を考えていけばよい。
例えば会社でしたら、上司の顔色を窺う日々を送ればストレスがたまりますが、与えられた仕事の内容を考えてじっくり仕事をしていけば実績ができていきそのうち評価が高くなっていくものです。
評価を得るのはあくまで結果ということです。評価をされなくても、自分に課せられた目的・行動を大切にしていくということです。そうすればいちいち人の顔色を窺うということもなくなるのです。
虫を取ったり畑でのことが細かく出ていましたが、「物の性を尽くす」、つまりその物その物を大事に思っていく意識があればいいと思います。私の言葉で言えば「人より物を見る」ということになりますね。
また、他人の思惑を気にして頑張り過ぎていたわけですから、「中庸」の、つまり「All or Nothingではない」という考え方が重要です。
人間関係で言うと、体験発表の中でも言っていましたが「不即不離」、これは着かず離れずという意味で、人間関係でもべったりし過ぎたりとことん相手に気に入られようとするのではなく、中くらいということなんですね。
入院森田療法の中で、今までやりすぎてきた人が周囲に合わせてむしろゆったりやっていくことを私は「裏森田」と呼んでいますが、やりすぎないで中庸を保ち、目的本位という正しい方向でやっていくことで環境に適応できていくことになると思います。
発表について1つだけ言うと、『今までの苦しかった時期の自分を、仕方なかったけど仕方なくないな、と笑えるようになりました』とありますが、過去を肥やしにして賢くなったと思ってもらいたい。後悔するとか別人になるということでなく、いい部分を活かしながら賢くなればいい。
森田療法は過去を振り返るものでなく、「今を生きる」ものなんですね。少し前を見る、明日やらなければいけないことを淡々とやっていく。過去の反省材料を将来のために活かしていけばいいと思います。
最後に、前回の体験発表の時にも触れましたが、自然のリズムの中でゆったり心を洗われるというのは、特にここでの森田療法のいい所です。
「晴耕雨読」という言葉を皆さんご存知でしょうか。中国の言葉ですが、晴れたら耕し、雨が降ったら読書するという単純だが、ゆったりとしたものを確実に刻んで行く。今後もストレス社会の中で色々大変なこともあるかと思いますが、「晴耕雨読」の精神を忘れず生活していくことでうまくやっていけると思います。
頑張り過ぎをもう少しゆったりとやって行くという「裏森田」が大事だと思います。