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第70回体験発表

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マーブルチョコレートケーキ
ハーブゼリー
茄子と胡瓜大葉の塩もみ

体験発表者

20代 女性
強迫性障害

体験発表

私は小学生中学生の頃、小さな出来事をきっかけに神経症になりました。
この頃から強迫観念にとらわれ、様々な強迫行為を繰り返し、自分でも今、行っている行為が意味のないことであると分かっていながらも止めることが出来ずに、嫌な気持ちでいっぱいで訳がわからないけれど、やらないと気が済まないという状態でした。

この頃は大人になればきっと治るだろうと思い耐えていましたが中学生になり、ふと、これは一生治るものではないと気付き絶望しました。それからは何をするにも無気力で中学高校とただ家と学校を往復する毎日で、家では食事の時以外は寝ているような状態でした。
この頃から様々な強迫症状が出始め「自分は普通ではない、普通の人なら考えないようなおかしな事を考えている」と強く感じ始めました。
何をするにも「これさえなければすべてがうまくいくのに。これがなくならない限り人生、全てがダメだ。なぜ自分ばかりこんなに苦しむのだろう」と考え何に対しても投げやりな態度で行動していました。今思えば、この頃は完全に自分の殻に閉じこもり、症状を理由にして色々な事から逃げていたようにも思います。

高校を卒業し短大に進学してからは劣等感がひどく、ひがみっぽくなり何もかもが嫌になっていきました。
社会人になってからも劣等感を強く持ち、人からの評価を常に意識し始めました。会社では臆病で小心者の自分を周りに悟られまいと必死で虚勢を張っていたと思います。
順調に仕事が出来ていても少しのミスで落胆し、転職を繰り返すようになっていました。

そして去年、父が亡くなり、転職・引越しと大きな環境の変化があり、一気に症状が悪化しました。心療内科に行ったところ、うつ病だと診断され先生から「とにかく休養をとり、ずっとお母さんがそばにいてあげて下さい」と言われ、一日中母と一緒に過ごしていました。
その頃から母に確認を求めてしまい、常に自分を見ていてもらわないと生活できない状態になってしまいました。一人では一歩も外に出ることができず、常に強迫観念にかられ急速に悪くなっていくのが自分でもわかり、森田病院に入院することになりました。

臥褥中は森田療法で本当に良くなるのかという不安と、急に気分が晴れたり、強迫観念にかられたりの繰り返しで、入院前よりかえって悪くなったように感じました。
臥褥あけは気持ちが落ち着かず、不安でじっとしていられない状態が続き、夜も眠れないと訴える事が多かったです。

毎朝、布団を畳むことも億劫でいつでも寝れる状態にしておきました。
その状態が1週間ぐらい続きましたが、ある時看護婦さんから「布団は教えられた通りきちんと畳みなさい」と言われ、めんどくさいと思いながらも、また注意されることが嫌で、その日からきちんと畳むようになりました。毎日布団を畳みながら、こんなことに何の意味があるんだろうと思いながらも続けていると、いつからか、きちんと畳むことが習慣になったようで、ちゃんと畳んでいないと逆に気になるようになりました。
嫌々ながらも行動していくことで気持ちも変わるんだということを、この時感じました。

また入院したことで、今まで自分にばかり関心が向き、症状を理由に自分で努力もせずに他人を羨んでばかりいることにも気が付きました。
他人の言うことを受け入れることが出来ず、自分一人で解決しようと色々しているうちにどんどん症状にとらわれていった様に思います。
このことから私に必要なことは、『素直な心』と『もっと外側の世界に関心を向けること』だと感じました。

ダメでもともとという気持ちで、頭でばかり考えていないで、まず手を出してみる。
そして、これがなかなか難しく、苦しいのですが不平・不満を言うのではなく、粘り強く努力し、本来の自分の目的に従って行動をしていきたいと思っています。

しかし今も症状が軽くなったという実感はなく、常に暗くぼんやりした世界にいるような状態です。
それでも退院後はすぐにでも働きたいという意欲もあります。

就職できた際には、自分の置かれている現状を受け入れ、そこで最善を尽くす。そして行動本位の生活を心掛け、その中で多くの経験を積み自分の世界を少しづつ広げていきたいと思っています。

講話

今までいろいろな強迫症状に苦しんでこられましたね。強迫観念というものは、自分ではばかばかしいとわかっているようなことにこだわってしまい、それを振り払おうとすればするほど「とらわれ」が強くなって症状が悪化する、という悪循環になってしまいます。
あなたの場合、小学生位から症状が出たということですが、その反面、人から認められたい・よりよく生きたいという神経質の良い面を生かしてきたともいえます。今のスピーチにはありませんでしたが中学・高校時代、人のためになるボランティア活動に参加されていましたし、人前で話す時に緊張するということで話し方教室に通われたり、社会に入ってからも勉強して資格を取ったりされています。
劣等感というものも、人からよく評価されたいという神経質の「生の欲望」つまり発展向上欲からくるもので、決して悪いことではないのです。症状には苦しみながらも、一人で働き、自活してこられたことは大変立派なことだと思います。

今回、症状が悪化したのは、お父さんの急死、引越し、転職といった予期せぬ事態が重なったためでしょう。心療内科で「うつ病」と診断された時には、確かにうつ状態だったのだと思います。
ところが休養してよくなっていく段階では少しずつ外へ出たり軽い運動から始めていくことも大切なのです。そこで一日中家の中で過ごして、強迫観念についてお母さんに確認・保証を求めてしまうようになって、神経症が悪化してしまったのでしょう。
外来の初診でお会いした時には、もう「うつ」はよくなっていたので、Aさんの希望もあって入院森田療法を行うことになりました。入院当初は不眠に苦しんだり、お父さんのことを思い出して悲しくなったり、ということがありましたが、指示されたように仕事中心の生活を送られ、すっかり健康人らしくなってきたと思います。
これからは就職活動で大変ですが、がんばっていただきたいと思います。

実は森田療法に携わる医者も、神経質な性格の人が多く、森田正馬先生をはじめ、そのお弟子さんたちも多くは神経質でした。
私自身も神経質で、小学生の頃にはAさんのような強迫観念に悩んだことがあります。「4」とか「9」とかいう数字を避けるという縁起をかつぎ過ぎて、廊下を歩く時に、4歩や9歩にならないように歩数を調節したり、ガラスの破片で怪我をしてからというもの小さな破片が血管を通って脳に入って脳出血したらどうしようかと真剣に悩んだりしたものです。
中学生の頃からは対人恐怖が強くなり、授業中に指名されて発表しなくてはならない時には赤面して頭の中は真っ白になり、自分でも何を言っているのかわからなくなっていました。特に女性と話すのは苦手で、高校卒業時の寄せ書きには「あなたほど女性の前で照れる人は珍しい」と同級生の女子に書かれたものです。
自分ではなんとかしなくては、と思い、心理学関係の本を読んだり、自律訓練法をやってみたりしたものです。当時、森田療法の本と出合うことがなかったのですが、不安や緊張があっても避けずに行動しているうちに、「まあこんなものだ」と思うようになり、以前ほど苦しむことはなくなりました。
結果的には森田療法と同じことになったわけです。今でも人前で話すときには緊張します。仕事上、講義や講演を頼まれることもあり、緊張しながらやってます。

森田療法の考え方は、単に神経症の治療を治すためのものではありません。森田先生のもとで月1回患者さんたちが集まる会があって、「形外会」という名称でしたが、森田先生御自身は「神経質礼賛会」つまり神経質をほめたたえる会と名づけようとしたそうです。
神経質な性格は決して悪い性格ではなく、それを仕事や家庭生活に生かしていけば、すばらしい性格になってくるのです。ですから、Aさんも皆さんも、症状を良くしようということよりも、神経質を生かしてよりよい生活を送れるようにすることを考えていただけると、もっともっとすばらしい人生になってくるだろうと思います。
そして、気がついたら症状がなくなっていた、そういう治り方をするものです。森田先生は次のように言っておられます。

世の中の現実で、誰もが人並みにそうやっているところの「苦しいままに働く」、それが小学程度、次に「苦しいことはいやである」そのままの事実を認識するのが中学程度、さらに「いやとか好きとかの名目を超越した」のが大学程度である。(白揚社:森田正馬全集 第5巻p.653)

小学校程度から中学、大学程度へとステップアップしていくように皆さんも頑張って下さい。

<文責:四分休符>

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