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第77回体験発表

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茶話会 苺のムース、
ディップクラッカー、
ハーブティー

体験発表者

20歳 男性 大学生
対人恐怖症

体験発表

私が、入院したきっかけは対人恐怖です。最初は中学、高校のいじめが原因で人間不信に陥りました。大学に入ってからは、くだけた関係に入っていけない事を理由に、サークルを転々としました。バイトがクビになったこともあり、能力がないことへの恐怖も加わりました。
これでは社会でやっていけないと思い、両親に悩みをうちあけたら、森田療法系の医者を紹介され、薬物療法と生活を正すことを指導されました。一時はそれで、希望が見えたのですが、「勉強ができない、仕事が出来ない」ことへのこだわりは消えず、調子の悪い時は、目が回る事を理由に、病院に運ばれたこともありました。
家族で旅行に行った時も、周囲の視線が気にかかり、頭が痛くなって急遽帰国しました。絶望の中、入院を決意しました。

この病院に来て、思ったことは「苦労しないで、苦労ができる」ということです。朝、目を覚ますことも周りが起きているので簡単に目を覚ませますし、掃除や洗濯もあまり苦に思いません。苦しい時もありますが、やっているうちに楽になっていきます。患者さんや看護婦さんもとても親切に接してくれて対人恐怖も意識されませんでした。ハードな農作業もとても楽しく参加することができました。

離褥後1ヶ月ほどで、自分の目標を親からの独立と何となく意識するようになりました。今まで親に甘えていた事が、症状の一つの原因と考えたからです。ここに入院したことで、親から離れることが想像していたより苦ではないことがわかりました。
しかし、作業中に他の患者さんに頼りすぎてしまったり甘え癖はまだ残っています。退院後も完全な自立は一つの課題と考えて頑張っていこうと思います。

ここの作業で一番好きだったのはジャガイモの種植えです。鍬で穴を掘り、ジャガイモを植え、また鍬で穴を埋めて、うねを作っていきます。うねづくりについては指導員や先輩患者さんが丁寧に指導してくれました。力のいる重作業と共同作業を通してまた一段と成長しました。
作業が終わった後の食事が美味しいのも楽しみのひとつでした。

茶話会の調理係も良い経験になりました。人を動かした経験がなかったので、どうやって調理の指示を出したらよいのか非常に悩みました。しかしいざやってみると下手ながらも最後までやりとげることができました。協力してくださった皆さん本当に有り難うございました。おかげさまでおいしいサンドイッチができました。

ここでいろいろなことが「できた」経験を通して私が学んだのは、とりあえず動いてみるということです。自分の中の大きな悩みを解決することは困難ですが、行動すると少し気分が晴れますし、目の前の問題は解決します。
残念ながら、「治らずに治る、症状になりきる」という森田の言葉を理解するには至りませんでしたが、自分の中では目の前のことをやっていくことで生活を整えていく事だと理解しています。逆にいえば「目の前のことしか人間はできない、自分で思っているよりも自分は小さな存在なのかな」と思います。

最後にここまで支えてくださった患者の皆様、内山先生、看護婦、指導員の方々、病院職員の方々、本当に有り難うございました。至らない点が多々ありましてご迷惑をおかけしましたがご了承ください。ここで学んだ事を基礎としてこれからがんばっていこうと思います。
皆様の退院とご活躍を心から願っております。

講話

短い発表でしたが良くまとまっていましたし、読み方も良かったです。対人恐怖があるとは思えないですね。あなたの体験が詳しく述べられていたと思います。教科書にしても良いくらいのものでしょう。

対人恐怖についてですが、あなたの症状の基盤となっているのは「神経質性格―繊細・過敏・完全主義傾向」です。発表の中で「くだけた関係に入っていけないためにサークルを転々とした」とありましたが、これは「くだけた関係にならなければならない」という完全主義の願望です。それがゆえに「仕事・人間関係がうまくいかない、バイトをクビになった、部活を転々とした」という体験をしたのだと思います。
この体験により「自信がなくなった(自信喪失)」 →
①「目が回る・周囲の視線が気になる」、
②「不適応を起こす」
という悪循環が始まったのでしょう。精神交互作用と似たように悪循環の状態です。

これは高良先生の言葉で言えば「適応不安」です。森田療法というのはこの悪循環にメスを入れ打破して悪循環を防ぐのが目的です。「不適応→自信喪失」の流れの途中にメスを入れ、自信回復をさせるのが森田療法のメカニズムです。
あなたがたどったのはまさしく森田療法で言う神経症の発症機制そのものなのです。

森田療法で重要なことは「場の問題」つまり入院の環境です。入院していると、
①共同生活である、
②タテヨコの人間関係がある、
③行うべき作業がある、
という環境に置かれます。
①の環境下では他人の目が気になったり、先輩患者の指導が行われるので、「家にいたときは昼まで寝ていたのに入院中は朝6時に起きられる」とか、「規則スケジュールに縛られて行動するので症状を持っていても行動することにつながる」という効果が現れます。
②の環境下では、主治医、指導員、看護師、先輩患者、朋輩患者、後輩患者が複合的に自分を指導してくれます。ここでは作業という共通の目的に向かうのが重要で、会社で全社あげての目標があると業績が上がるのと一緒です。
③の環境下では「やれば出来る」「自分はまんざらでもない」という自信がつきます。神経症者は心配症なため実際より自分を低く評価しています。そのため「いざやってみれば出来る」ので、場を与えられれば実力を発揮して自信を取り戻します。
そして作業を続けることで悪循環を断つことが出来るわけです。

私の出身の浜松医大では、森田療法の入院治療の意義について、

  1. 症状不問(症状については何も言わない)、
  2. 家庭的治療の場(タテヨコの関係がある)、
  3. 作業による生命の直接体験(理屈抜きに作業してゆくことが気持ちよいということ。純粋に目の前のことにぶつかっていくことが症状に支配されている自分を変える)、

の3つが挙げられていました。あなたの文章にもこれは表現されています。やったことのないことに没頭することが大切です。それが症状の悪循環から脱却するきっかけとなるものです。
入院の場というものがあなたを良い方向へ導いたのです。

発表の最後に「『治らず治る』とか、『症状になりきる』というのが今一歩わからなかった」とありますが、教科書的な答えとしては「症状があってもやるべき事を行動する」ということになります。
こういうことがわからないということは、まだまだ症状に目が向いているのでしょう。「楽になりたい、すっきりしたい」という思いがあるのだと思います。

しかし、森田療法は楽になりたいことを目標にしていません。「症状があっても行動する」とは症状があってもつらくても何とかなるだろうという自信を付けることなのです。
症状はたとえ今なくても将来来るかもしれません。森田療法は今楽になることをめざすのではなく、「いつ症状が起きても対処出来る」という姿勢を常に身につけることが本質です。「症状があっても構わない、いつでも掛かって来い」という心構えが重要です。
「症状があっても支障がない」という状態が「治らず治る」ということです。症状あるなしにこだわらないということです。

症状になりきってしまえば症状はあってもなくても関係ありません。本当の意味でこれらのことがわかってくるのは5年後、10年後かもしれませんがそれで良いのです。今全部治るというより、この生活態度を続けることによって症状があってもなくても関係ないという状態になるのが治ったということです。
今後は是非そのような状態になってご活躍ください。

退院おめでとうございました。

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