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第80回体験発表

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ポテト&アップルパイ
紅茶ゼリー
キュウリとニンジンの棒サラダ
麦茶

体験発表者

29歳 男性 無職
普通神経質、強迫神経症

体験発表

私に症状が現われたのを明らかに自覚したのは、中学1年の春でした。入学して間もなく、幼なじみとのイザコザから「イジメ」を受けることとなり、それに伴い「クラス」というものに適応出来にくくなり、非常な不安を感じていました。
そんなある日、昼食に袋から弁当を取り出すのですが、袋の中にまだ何か入っているような気がして、袋の中をずっと覗き込んでいました。何も入っていないのは分かっているのですが、心の底から突き上げて来るような不安に駆られ、確認せずにはいられませんでした。

そのような集団との不安や緊張、確認行為などの症状はその後も続きました。そのような自分を変えようと、大学では学生会に入ったり、社会に出てからは冠婚葬祭の営業をしてみたりと、自分に合わないものを敢えて強制してやってきました。
しかし、症状に改善は見られませんでした。それどころか、症状と戦い続けているうちに、今度は首や頭に尋常ではない圧迫感を覚えるようになりました。

中学1年から16年間、何をやってもどうにもなれず、どうにかすればするほど悪化する24時間間断なく意識される心身の症状に次第に活力を失い、部屋の片付けや洗面、歯磨きなどもできなくなっていきました。
「自助努力で何とかしてみせる!」と戦い続けてきましたが、ついに矢尽き刀折れ、「生活の発見会」という団体の知人に紹介され、こちら「三島森田病院」に入院森田療法を受けさせて頂くこととなりました。

臥褥に入って初日は、「とにかくここまで辿り着いた」という安堵感と先々の不安との入り混じった複雑な心境でした。2~3日目は、時間に関係なく眠るにまかせて眠りました。4~5日目は、様々な心身の症状に悩み煩悶しました。6~7日目は、発症してからこれまでの経過を一年一月とふり返り、そしてこれから始まる入院生活へ飛び込む気持ち一つ心を定めていました。

軽作業期は草取りなど。2月の初めでしたので、「寒いなあ」と思いながら手だけ動かしていました。

重作業期は、じゃがいもの種芋植えから始まりました。雪が降る日もあり、とても寒かった事を覚えています。何もわからないまま畑まで行き、ただひたすらクワを動かしました。
この頃は作業に入る前に特に症状が強く感じられ、そして作業が始まれば「とにかく動く」ことだけを考えて、心の中で「動く動く」と呪文のように唱えていました。
しかし症状にとらわれた時は、途端に身動きがとれなくなり、まるでダムか何かのように極端に止まっては動き、動いては止まる、動き過ぎれば当然疲れ、止まっていても消化不良で疲れてしまう、その様な事の繰り返しでした。

約2ヶ月を過ぎた頃から、エネルギーが少しづつ外に向き始めた様に思います。例えば絹サヤを収穫する時には、その豆の大きさを見て「これは食べ頃かどうか」とか、畝作りの際に肥料をまく時には、なるべく均等に全体へゆき渡るようにとか。またメダカにエサを与える時には、「一匹一粒は食べているか」を観察する様になりました。
またこの頃から、畑作業の休憩中に見られる木々の強く穏やかな姿に「症状があってもやっていくのだ」という生命力を感じるようになりました。

不安症状や身体の症状は今も残っていますが、しかし「症状があってもやっていくのだ」というここでの体験は私にとって土台の中の土台であり、とても貴重な財産となって胸に刻むことができました。

お世話になりましたナースの方々、特に師長さんには、休日寝ている所を起こして下さったりなどとても有難く思いました。また、日々様々な場を通して自分を省みる機会を与えて下さったメンバーの皆様、指導員の方々に、心より感謝致します。
そして、朝は叩き起こすよう指導下さり、時に理論的に、また自然体で導いて下さった内山先生に、心より感謝申し上げ、私の体験発表を終わります。

皆様どうも有難うございました。

講話

理知的な文章でよくまとまっていた発表でしたね。自己内省し、自分自身を冷静に振り返ることができています。
今日は特別なテーマと言うより、あなたの経過をもとに話しをしていきましょう。

弁当の袋の中身を何度も見るというあなたの症状はいわゆる「確認癖」、強迫症状の一つです。こうした症状が突然起こることもしばしばあります。確認することで疲れる、疲れることで頭が重く感じる、圧迫感を感じるという症状もよくある症状です。
診断としては、確認癖は強迫性障害と関係していることに対して、頭重感は身体表現性障害と関係しています。なお「頭重感」とは頭痛とは違います。頭痛は頭痛薬でよくなることに対し、頭重感は抗不安薬(いわゆる安定剤)で良くなることが多い、神経症的症状です。

入院時のあなたは、強迫症状よりも頭重感の訴えの方が大きかったように思います。

中・高・大学生時代のあなたは「症状のせいで自分はダメになった」と考えていたのではないでしょうか。だからあなたは「症状をなくせばよい」と考えた結果、その方法の一つとして『症状と戦う』ことを選んだのではないでしょうか。あなたは大学時代に学生会に入ったり、就職先に冠婚葬祭の営業など自分に合わないことを敢えて行うことで症状をなくそうと考えたのでしょう。

しかし症状と戦う方法は軽い症状には有効であるけれど、一定以上重症な人には逆効果なのです。森田療法の用語では症状の軽減の為に余計な行動をすることを「はからい」といいます。かえって症状へのこだわりが大きくなり、症状が泥沼化することもあるのです。頭重感はその表れとみることもできます。

他方、症状をなくすもう一つの方法として『症状から逃げる』という方法があります。症状から逃げると、人との関わりが少なくなり、引きこもりになって行きます。また症状と戦った結果としてうまくいかなくなり引きこもりになっていく人もいます。あなたももともと引きこもりというわけではなく、「はからい」をした結果、引きこもりになったのでしょう。
そもそも症状をなくそうと考えるから、うまくいかずに次第に打ちのめされて引きこもりという結果になるのですね。ですから森田療法では、症状があってもいいとみなす「あるがまま」の考えに従って行動することをお勧めしています。

さてあなたの入院治療においては、臥褥期の始めは入院できた安堵感と少しの不安から徐々に不安が大きくなるという典型的な経過をたどります。
そして軽作業期を経て重作業期になると、あなたはとにかく動くよう努力しました。森田療法を勉強されている方は動くほうが良いことのように考えますが、ただ呪文のように動くだけではよくありません。

あなたは動こうとするほど「どう動けばよいかわからなくなる」ということがありました。その根底には「症状をなくすしかない」という思いがあったからではないでしょうか。
「症状をなくすためにとにかく動けばいいんだ」という誤った発想に立っていたのではないでしょうか。正しい森田療法では「あるがまま」を少しずつ選ぶことで、「症状があってもやっていくのだ」となります。そして、症状をなくすためではなく、目的本位に行動していくのが正しい道です。

私の師である浜松医大の大原健士郎教授は「症状から逃げるな、症状と戦うな」という言葉を述べていました。これはあまり症状を相手にするなということにもなります。これを森田療法では『自然服従』と言い、あなたへの一番のアドバイスだと思います。
自然とは大自然やネイチャーの意味ではなく、自ら然(しか)るべきという意味であり、当然あるべきことに服従するということです。もっと簡単に言えば、(症状があって苦しくても)常識的にまたは人並みに行動しろという意味になります。

あなたの今後の課題はこれを納得した上で、人並みに生活していくことです。これから就職していく中で症状があっても構わず生活していくことが大事だと思います。その積み重ねによって、いつしか症状を意識しなくなっていくと思います。

これで私の話は終わりにしたいと思います。

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